このあたりの戦後のレジェンド先生たちは言うまでもなく、例えば「20世紀少年」では、独裁者の誕生・弾圧がもろにテーマになり描かれているし、「進撃の巨人」にだって、「正義同士の戦い」がどれだけの惨劇を生むのかこれでもかと描いている。
普通に昭和平成令和に漫画人生を送ってきたなら、好き嫌いはもちろんあるにせよ、反戦思想の洗礼は嫌って程浴び捲るはずなのだが。
手塚治虫氏・水木しげる・石ノ森章太郎・藤子不二雄・やなせたかし・中沢啓(健在だが宮崎駿)
この世代の偉大な漫画家は皆作品の中に反戦平和への強いメッセージを込めた
後世の日本人がそれらを用いて自分のメッセージと重ね合わせたり、世界に発信する光景こそが、日本国憲法がもっとも理想とした「表現の自由」の形だろう
そこにたかだか「高市批判」が加わったところで吹き飛ぶような「表現の自由」は、表現の自由とは言わない
表現の自由とは、特定の権力者を守るためのものでも、その権力者を支持する人が不快になるのを防ぐためのものでもない
こんな、世界中(独裁国家以外)で許されているようなメッセージの発信方法を
「やめろ!自分の言葉だけで伝えろ」と阻止したい人がこれだけたくさんいるという現状は、
それらの偉大な作品に、それだけ人々の心を動かす魅力と説得力がある事を知っているからなんだろうな
非力な国民一人一人の言葉では反戦平和の声はなかなか広がらない
そんなとき弱い者たちが偉大な先人の言葉や作品を借りる
権力者にとっては一番都合が悪いことだと思う
だからこそ、大日本帝国は治安維持法を使い、才能ある作家をこの世から亡き者にした
彼らの影響力を恐れたから
作品の解釈は人それぞれだ、他者の解釈を見て気に入らないと感じる人もいるだろう
それもまた権利だ
だがどんな映画も小説も漫画も、全ての人が自由な解釈を発信する権利がある
その解釈の中には勿論
「作者が生きていたらこの政権を望まなかっただろう」だって含まれる
そこだけは許されないなんてことがあるはずがないし、あってはならない
私は、安部政権のときですら、「亡くなった人の漫画を自分のメッセージ(特定政権批判)に使うな」
なんて意見を目にしたことがない
あらためて、日本はだいぶ危機的状況なのだなと感じた
偉大な漫画家たちは、その答えを後世に託すために作品を残してると思う
進撃の巨人の諫山先生を思い出してほしい
右も左も自分の解釈を信じてよく喧嘩してるけど、常に傍観している
「諫山先生はこの考えに違いない!」という使われた方も多い
先生はあらゆる解釈を「読者に委ねている」
あれだけメッセージ性を持つ強い作品を描いておきながら、あらゆるインタビューの中でも自分の考えを前面に出さない
「人々が自分の作品を用いて思う存分話し合える」
これが彼の描きたかった世界だからだ
アルミンの言う
「話し合おう」「わかりあおう」そのものだと思う
まぁ、そんな私の解釈も間違っているのかもしれないがw
「そんなことに作品を使うな!」
石ノ森章太郎をリスペクトしているこの人は、作者が亡くなっているからこそ、作者のためを思って怒っているのかもしれない
でも、それこそ、そんな守られ方を
作者が望んでいるかどうかはわからないんだよ
ただ、一つだけ
この世代の漫画家は、今の時代の誰よりも「表現の自由」がどれだけ貴重なものか、知っていたと思う
藤子不二雄(我孫子)の自伝「まんが道」で、敗戦の知らせを聴いた満賀少年の第一声が
「やったー!!!これで好きなだけ漫画が描ける!!」だった
この場面が忘れられない